ABOUT US

タイガーモブについて

松島 葵

心のタンクに燃料を注ぐ

アクセラレーター

松島 葵

Aoi Matsushima

神戸市外国語大学外国語学部中国語学科卒業。 8歳の頃に、アフリカのスラムでその日暮らしをする少女をテレビで見てから、自分の身の回りの環境との差に衝撃を受け、 ‘’アフリカに行って現地を見る‘’という夢を掲げる。大学生活では、 ‘’誰もが自分の可能性に気付き、挑戦し続けられる世界を創る”というビジョンを掲げ、Habitat for humanityの大学支部の運営、東日本大震災の復興支援、防災啓発活動などに取り組んだ。特に、ケニアのスラムの医療支援を行うNPO法人チャイルドドクター・ジャパンで、日本を拠点に、高校生ボランティアイベントの運営を行い約3年間活動。2023年夏、8歳からの目標だった念願のケニア渡航が叶い、チャイルドドクターと現地の開発コンサルであるアクセルアフリカのインターン生として活動。ケニアでタイガーモブに出会い運営側として関わる中で、タイガーモブが掲げるミッションや提供している価値に強く共感し、タイモブでビジョン達成に向かって進みたい!と思い帰国後インターン、卒業後新卒入社を決意。アクセラレーターとして、一人でも多くの人が自分の可能性に気付く機会を提供できるよう、奮闘中。

なぜタイモブしているのか?

‘’誰もが自分の可能性に気付き、挑戦し続けられる世界を創る”

これは、今の私が掲げる人生のビジョンです。

私がタイガーモブを始めた理由は、タイモブという船に乗り前進することで、自分のビジョンを達成できる未来が見えたから。

この未来が見える状態ににたどり着くまでには、15年の時間がかかりました。

 

1.忘れられない衝撃と8歳の私が描いた夢


‘’誰もが自分の可能性に気付き、挑戦し続けられる世界を創る”

このビジョンを持つに至った一番初めの原体験は、小学校2年生の頃まで遡ります。とあるドキュメンタリー番組で、アフリカのスラムで暮らす少女がその日暮らしをしている姿を見て衝撃を受けたのがきっかけです。身の回りの物に不自由のない自分の生活と、画面の向こう側の生活の差は、当時8歳だった私にとって受け入れがたく信じ難いものでした。それから今日までの15年間、その時感じた衝撃が薄れることはありませんでした。 **‘’大きくなったらアフリカに行って自分の目で現地を見る。”**これが8歳の私にとって人生で初めて描いた将来の夢です。

 


2.アフリカまでの道のり


大学生活では、「当時8歳の自分は何に対して衝撃をうけたのか」ということを言語化したい、という思いから、学内でのボランティアや、NPOでのインターン、防災啓発活動などを通して、自分なりの答えを模索しました。4年間を通して見えてきたのは、貧困、紛争、疫病、災害など、様々な原因から、毎日を生きるので精一杯な彼女たちが置かれている’’**自分たちが持つ可能性に本当に気付くことができず、やりたいことに挑戦できていない‘’**という状態に対し、自分自身が強く違和感や苛立ちを感じているのではないか?ということです。この仮説が正しいのか、その真実を自分で確かめるため、アフリカに行きたい、という思いは強まるばかりでした。そんな中、2023年8月、3年近く活動を続けたNGOのインターン生として、ケニアに行く機会を頂くことができました。私にとって初めての夢が叶った夏です。

 


3.現地で見た’’当たり前の日常’’と私の直感


ケニアでは一か月間、ナイロビにあるサウスランドスラムと呼ばれる約6000人が暮らす規模のスラムを訪問し、現地で暮らす子どもたちやお母さんたちのお話を聞いてきました。スラムに行って驚いたことはとてもシンプルで、そこで暮らす誰もが、彼らにとって当たり前の日常を送っているということ。現地に行くまで、そこで暮らす方たちは自分たちの生活に疲弊、悲観し、その運命を辛く憎んでいるのではないかと勝手に考え、辛い思いをしている現地の方の気持ちに寄り添えるのだろうか、どんな励ましの言葉をかけられるだろうか、そんなことばかりを考えていました。しかし実際に行ってみると、出会う方皆、笑顔で明るく、 ‘’ハバリヤーコ!!(意味:こんにちは) ‘’と声をかけてくれます。子どもたちが走って駆け寄ってきて、キラキラした目で私を見てぎゅっと抱きしめてくれたり、拙い英語で自分たちが暮らす村のことを教えてくれます。

現地の小学生や中学生と将来の夢について話していると、

‘’学校の先生になって、自分の学びを子どもたちに伝えたい。 ‘’‘’医者になって、スラムの病気の人をみんな助けたい。 ‘’‘’料理人になって、お母さんに美味しいご飯を作ってあげたい! ‘’

と、みんな目をキラキラさせて私に伝えてくれます。お互い夢の話共有して応援し合う、なんて尊い空間なんだろう、、と心が満たされました。そしてそれと同時に、ふと私の直感がこう自分に訴えかけてくるような感覚に陥りました。

ここは私が価値を提供できる場所ではないんじゃないか?

なぜそう思ったのか、これを言語化するのは今の私には少し難しいです。ただ、**直感がそう訴えかけてきました。**もちろん、いくら子どもたちが未来に希望を抱き、キラキラした目をしていても、普段の生活においてスラムはまだまだ問題だらけです。国連やNGOやその他多くの支援が必要です。ただ私にとって最も印象的だったことは、滞在中に出会ったスラムで暮らす方が誰一人として、自分が置かれた環境を嘆いたり自分の人生に悲観的になっていなかったこと。あそこで暮らす子供たちは、みんな自分の可能性を信じて夢に向かって頑張ろうとしていました。その事実を知り心が満たされたときに、自分が大学生活での活動を通して持っていた’’**自分たちが持つ可能性に本当に気付くことができず、やりたいことに挑戦できていない‘’**状態に対し違和感をもつのではないか、という仮説が正にぴたりと当たっていたことに気が付きました。

 


4.タイモブとの出会いと私の決意


スラムでの活動を通して自分のやりたいことに気付き始めた頃、ご縁あってケニアのTMS(タイモブスクール)に運営側として帯同させて頂けることになりました。約2週間の協働を通じて感じ続けたのは、タイモブが正に‘’自分の可能性に気付き挑戦する人‘’を増やし続けている、とういうこと。こんなにも自分が本質的にやりたかったことに本気で取り組んでいる方たちがいる、という事実に衝撃と感銘を受け、ここにいる人たちと自分のビジョンの達成に向けて冒険したい。と、強く思いました。アフリカに行って何の支援がしたいんだろう?と自問を繰り返したり、本当にやりたいことが何かわからず、就職活動や大学院への進学を検討する中で抱えていた迷いや心の靄が一気に晴れた気がしました。

自分の本質的にやりたいことは、どんな場所にいてもどんな環境下でも、世界自由の人が自分たちの可能性に気付き挑戦できるよう後押しすることだと。それをし続けられるなら、世界中、場所も年齢も、性別も文化も何も問わない、ということ。

そんな私にとって、タイモブとの出会いはまさに、運命の人に巡り合ったような感覚です。自分のビジョンを達成すべく、タイモブという船に乗り、精進します。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!

Index